理性的で感情的な私

「あげられるものなんて 心くらいしかないから 君にわたそうと思った」

美しい恋を連れてきた、君の歌に

2020年6月19日。

8年近く愛し、そして愛された、アイドル、

手越祐也はジャニーズを辞めた。

これを書いてるのは6月20日の夜で、手越さんがNEWSじゃない世界の1日目を終えようとしているところなんだけど、いやー本当にしんどい。心の底の底の底からしんどい。好きになってからずっと、本当にずっと、NEWSの手越祐也は私の太陽だったから、急に太陽がいなくなって、血も涙もない世界にほっぽり出された感じ。(私の中で手越祐也のテーマソングは一生、紅く燃ゆる太陽)

誰かに対してぶつけはしないものの、思考回路まではさすがに取り繕えないから死ぬとか鬱とか絶望とか不穏な言葉が脳内でパレードしちゃってるけど、まぁ実際は今日も今日とて生きてるわけです。きっとこの世界2日目も、3日目も、その先も、肌寒いなぁとか、涙止まんないなぁって思ったとしても、しぶとく生きていきます。てごしって発音する10回に7回は涙ブワァァァ来るけど、それがだんだん6回になって、5回、4回、3回、で最後は笑顔になれる日が来るんでしょ?時間さんよ、あんたが解決してくれるんでしょ?

 

ここ1ヶ月くらいはずっと、乗りたくもない超ド級ジェットコースターに無理やり乗せられて、周りの景色なんて見たかないのに、目を瞑ることすら許されないような心地だった。マジでなんでみんなそんなに他人に興味あるんですか?って何度も思った。人の不幸は蜜の味って感じですか?って。人生のパイセンの言葉にさ、「愛の反対は無関心」てのあるけど、ほーーー。なるほど。って納得する反面、不幸に対して好奇的な関心を向けられるくらいなら、無関心の方が良くない?ってぐるぐる考え続けたりした。ソースどこですか情報が錯綜するたびに、彼は叩かれて、擁護されて、こちらも性懲りもなく傷ついて、安堵した。

それまでだって、意図せず敵を作りやすい人で、ネットでなんやかんや言われていたけど、ファンもスルースキル高めてなんぼじゃ!とか思っていたから、批判の言葉にはかなり疎かったし実際どうでもよかった。でもそれは心のどこかで"手越祐也がNEWSでいることを脅かされる"ことはないって勝手に信じていたから。だから、ここまでの事態になってようやく、強そうな標的には何を撃ったって平気と思ってる人達が集う奔放な遊園地の中を、彼がずっと果敢に生きてきたことを直視したんだと思う。4人になった時の「3人は本当に優しい人たちだから、自分が矢面に立つ」って言葉はどんな気持ちで、どれほどの覚悟で口にしたんだろう。想像するのもおこがましいけど、私はその矢が今になってめちゃくちゃ怖くて堪らないです。

 

(突然のよくわからん大説教ブログ入ります)きっと誹謗中傷とかも然りな話でさ、流れる膨大な言葉を前にして、自分以外の人も言ってるからって、人を蔑めるパワーがエグい言葉を平気で言えちゃう心理?風潮?みたいなのがこの世の中に絶対ある。SNSネイティブ世代な私も含めて、そういう言葉のハードル、下げすぎじゃない??それに対して本人が何かアクションを取ろうものなら、感情的になるなだの、そんなに嫌なら見なきゃいい、だの飛び交う。「明らかこっちの方が冷静だわ!」って思うし、感情的な相手に冷静に対応して納得させるって、感情で向かうよりも半端ない気遣いとエネルギー消費する。スルースキル言ったって、何万もの反応に対して"SNS見ないネット見ない作戦"で解決できるほど単純じゃない。自分以外の人がみんなが知ってるのに、自分だけが知らないって、なんか気持ち悪いし、結局は"知らない"を際立たせるだけでますますひとりぼっちになるだけじゃん。いや、本当に考えてみてくれよ、世間。私も毎日考えるから。それ絶対ちゃうやろって、私の中のチャウチャウ犬がすやすや眠れるまで考えるから。自分が正しいなんて思わないけど、そんな言葉を人に言わないのが大前提だよ。誹謗中傷、ダメ、ゼッタイ。批判とヘイトの違いわかりますか?1億歩くらい譲って、これは批判だと主張する猛者が現れても、はい!見直しまーす!ご指導ご鞭撻サンキュー!って対政治じゃないからならないのよ。議論重ねて、高次元へ行きましょうみたいな話じゃないのよ。いつだって、対人間。サンドバッグじゃないから。その矛先、血の通ってる人間に向いてるから気をつけなはれや!!!!って感じ。(大説教ブログ終了のお知らせ)

直、手越さんがいろんな媒体を始めて、今までよりもかなり直接的に悪意を向けられることも増えるのかもしれないと思うと気が気でない、、。

 

私はただのファンでしかないから、

撃たれる側に立つことはないから

どんなに頑張っても理解することができなくて、ごめんね。

矢を、傷を、自分のものに出来なくてごめんね。

本当は投げられる矢と同じくらい、いや負けないくらいの、優しい優しい贈り物を、全てがエゴだとわかっても、まだまだ沢山したかったな。あげてもあげても足りなくて、いつだって貰ってばかりな気がしていたから。

 

この時点でまだ会見を見ていないし、何を語るのかもわからない。彼が自ら辞めることに操縦桿を振り切った心境の変化や原因は、彼のみぞ知る範囲だと思う。私が勝手に守ってあげたかった世間の言葉や反応なんて、なんとも思ってないかもしれない。自由を求めて、泳いで行きたかっただけなのかもしれない。

 

そりゃあ、ツッコミどころも多かったし、反省をしてくれて居たらいいと思ったこともある。今も、なにこのディストピアって信じきれてないし、♪の絵文字恐怖症になりかけてるけど、真っ先に浮かぶのは楽しい思い出ばかりで。

 

初めて会った、テゴマスの青春はイレギュラーな髪型とメガネで開始20分は、手越さんの声をした誰かだ!って疑ってたこととか

 

4人を初めて見たWhiteで、何故かMCでメンバーが棒々鶏とソファになるから、頭おかしすぎて割とガチで引いちゃったこととか

 

QUARTETTOでSNSで知り合った沢山の人たちと、初めて会えて、ずっとウキウキで嬉しくて堪らなかったこととか

 

NEVERLANDで初めて自然発生的なNEWSファンの大合唱に参加できたのに涙でぐちゃぐちゃだったこととか

 

EPCOTIA で初めてアリーナ席に入ったのに、全然心も見た目も準備できてないって不安になって、お姉ちゃんと席ついた瞬間、なぜかステージに謝っちゃったこととか

 

Strawberry で初の野外で、一緒に花火見て、「生きろ」歌って、これからの私の、あの夏はここに繋がるって思ったこととか

 

EPCOTIA ENCOREで、「生きろ」歌いながら、金色のペンライトに包まれて、繋がる4人を見て、これは絶対忘れちゃいけない、忘れたくないって思ったこととか、気づいたら歌声録音されて狂気的かれぴ発揮されたこととか

 

WORLDISTAでシングル発売される前に、歌って〜て言われて、うっかり歌えちゃった自分にびっくらこいたこととか。

 

気がついたら、私の"最後"は終わっていたけど、今思えば、ほんとうに全部が楽しかった。思い出の宝箱をこさえるとしたら、私はほとんど今までのNEWSとの思い出を詰めることになるんじゃないかな。あまりにも鮮烈で美しかったから。これめちゃめちゃ真面目に言ってる。

 

ここ1ヶ月、自分の「好き」と向き合って気づいたのは、そこに必ずしも人として、アイドルとして求められる「正しさ」は含まれてなかったなぁと思った。(含まれる人もいていいと思う!)でも好きじゃない人からしたら、こっちが愛してやまない魅力よりも、「正しさ」の方が明らかにわかりやすいから、そこを執拗に突っついてくる輩とか「好き」に水を差してくる輩がいるけど、そんなんに影響されて、無理やり感情にフタをしないでいたい。「好き」の生殺与奪の権利は絶対に自分で握る。ああー奪われるって危険察知したら、心の中でめっちゃアホい変顔で対抗する。他人の「正しさ」を聞いてなんかやらない。

 

大好きだったライブ。

生きがいだと言ってくれたライブ。

愛し合う人たちしかいない星の中で、平均したら毎秒笑ってるんじゃない????レベルで見ていられた笑顔は本当に奇跡だった。自分に直接向けられてるわけでもないのに、同じ空間で違う誰かに、歌に、メンバーに笑いかけてくれるだけで、全てがやさしくなれた。

感情がスーパー凪で、怒りと悔しさしか原動力にならん!と信じていた私が、ライブに行くたびに「次のツアーまで恥じないように生きよう、幸せな気持ちをエンジンに頑張ろう」って気づいたら8年間走り続けてた。そしてこれからもNEWSが変えてくれた私のまま、たまに寄り道して、たまに後ろを振り返って泣きべそかいて、走って行こうと思ってる。

 

この強さが本当に何よりもの財産だよ。

6月20日の朝一番、何したと思う?

正解は、「プロテイン、ポチった」だよ。

(ここ1ヶ月、悶々した状態を打破するために筋トレもせっせとして、因縁深い筋肉とも仲良くなり始めて、強いの方向性を完全に間違っちゃってるけど、こういう私、めちゃくちゃ信頼できる)

 

だから手越さんも、走り続けてね。

一緒に見てきた景色が、抱いた感情が、少しでも脚を動かす糧になりますように。

NEWSとしてステージに立つ姿をもう見ることがないと思うと寂しすぎて、初次元の感情なんだけど、笑顔で人を幸せにする才能は本当にピカイチなんだよなぁ。

 

2年前に、自分だけの手越祐也じゃない。って言っていたけど、やっぱりそれはあなたのものだから。

 

美しい恋を連れてきた、君の歌に

幸せに微笑んだ、君の笑顔に

ありとあらゆる感情をくれた、君の姿に

ありがとう。

永遠に君に幸あれ!

君に導かれ 歌いながら ぼくは歩き出す

 

最近iPhoneからストレージがなんちゃらかんちゃらと、しつこく催促されて仕方なくiPhoneの整理をした。なんで撮ったのかもわからない、しょーもない写真。たいして行かないのに勢いで追加してしまったカラオケ店からのクーポンのLINE。1000件溜まるまで放置されていた迷惑メール。大概はこなせなかった欲張りなto do リストのメモ。だらしなさの塊で私のiPhoneはパンク寸前だった。それでも整理し始めてみると、ひたすら削除するのは部屋の掃除よりかはシンプルな作業でちょっとだけ楽しいもんだ。タップしていく私の指は軽快で清々しかった。

ざまぁみろ、私のだらしなさよ、次は溜めないからな。

ふと、あるところで指は止まった。8月12日のメモだ。8月12日。___________

そのメモには、50,000人のファンとNEWSと過ごした夏の日の記憶があった。忘れた日なんて1日もない。あの時の優しい光景と歌声は今でも私の記憶の最前列にある。オープニングのCDジャケットのデザインが描かれたエモすぎるケーキとかwhiteから計画されてきたメンバーカラーの衣装とか、美貌に狂わされた夜よ踊れとか。思い出そうとすれば(増田さんの言う通り)キラキラした衣装を纏った4人が頭の中で歌い、そして舞う。記憶は私のためだけに何度でも歌ってくれる。同じところで感情を揺さぶり、あの日に引き戻してくれる。それでもどんなに記憶がリアリティのあるものだったとしても、帰りの電車で絞り出した言葉の数々よりも臨場感があって切実な言葉は、恐らくもう二度と出てこないのだと思う。いや、違うな。出せないんだ。

 

• 深い暗闇で 孤独に泣いていた

ファンのなかではお馴染みだと思うが、増田さんがコンサート会場でよく口にする言葉(というか、趣旨)がある。

(コンサートに集まった)こんなにも沢山の人が同じ日、同じ時間に、NEWSのコンサートという同じ予定を抱えていることがすごい。ざっくりまとめるとこんな感じだ。(増田さんの語感を出すの諦めた人)

増田さんは実際、東京ドームで口にすることが多いが、きっとどの会場でも、このささやかな奇跡を感じてくれていると思う。こないだの味スタだって例外ではないと身勝手にも信じている。そう願ってしまうのは、なぜなら私自身がその奇跡を強く意識したからだ。自分の感覚を相手にも要求するのは、都合が良すぎるし傲慢だと思うからあんまり気持ちのいいものではない。たいして美味しくもない料理を食べさせて、たいして心のこもってない美味しいを強要して満足するみたいなものだ。そのことが虚しいとわかりながらも、味スタの私は増田さん含め会場にいた全員と共有したっていう独り善がりの満足が欲しかった。いろんなことに疲れてボロボロなのは自分だけじゃない。明日からまた現実と向き合って、泣いてんだか、笑ってんだかよくわからないヘラヘラの笑顔で過ごす人は他にもいる。そう思いたかった。仕事、学校、人間関係、将来のこと。それぞれ抱えている悩みも絶望も誰一人として同じものはない。何に喜びや幸せを見出すかも十人十色だ。それでも、あの2時間半は誰もが幸せに頷いたはずなんだ。NEWSのコンサートを介して集い、何度も歌声を重ねた事実と確かに存在していた繋がりに、あの時の私はすごく救われた。そして今も救われている。だからこれからもNEWSに似て、歌が大好きな歌いたがりのファンでいたい。(踊ったりもしちゃうんだから。)

メモ↓

8月12日。
今日が終わって、それぞれが家路につく。
これから語らう人たち。ゼロを観る人たち。
夜行バスで帰る人たち。

いろんな人がいるもんだな。
そんな中、私は…
重い。いろんなものが重いと思った。
ライブが終わって降り出した雨に、進まない足取り。
この日を過ぎたら肩にのしかかる現実。
けど、全部が悪い重さじゃない。
NEWSの愛。ファンの愛。私の愛。
皆んなの愛、ちゃんと重たいじゃん。
その重みが持て余した心の憂鬱を少し軽くしてくれてる気がする。

それなのに一歩、歩くたびに
家に近づくたびに、明日に近づくたびに
記憶の紐がするする解ける。
あの時
手越さんはどんな歌を歌ってくれたかな
慶ちゃんはどんな声をかけてくれたかな
加藤さんはどんな決意を聞かせてくれたかな
増田さんはどんな眼差しをしていたかな
50000人のファンはどんな顔をしていたかな。

忘れないでいたい。忘れたくない。
ずっと頭の中にいてください。

そして、今日が終わってまた始まる明日を前に
怯えてしまうような弱い私に
どうか勇気をください。

 

・君も 深い暗闇で 孤独に泣いていた?

味スタのとき、コンサートに行くことが初めて怖いと思った。何に対して恐怖を抱いていたのだろう。埋まらない客席か。来るかもしれない過激なアンチ勢の突拍子もない行動に対してか。はたまた、見て見ぬふりをしてやり過ごしてきた自分の中のNEWSに対してのマイナスな気持ちか。その答えは多分、

ステージに立つ彼らの表情を見ることだった。

より正確に言うなら、「ステージに立つことに怯えている顔を見る」のが怖かった。アイドルを応援するファンとして、自分たちに怯える姿を見るのはかなりの苦行だ。逆にその顔を隠そうとして力無い笑顔を向けられることも、もはや拷問に近い。その2つを覚悟して行った味スタだった。結局は私の杞憂で終わった。久しぶりにコンセプチュアルじゃないライブで、ストレートに歌と15周年の歩みを示してくれた。でも、これだけは1つ言わせてほしい。杞憂だろうがなんだろうが、ここ数ヶ月、結構心すり減らしたんだからね。

メモ↓

ずるい。
何がずるいのかも、もうよくわからないけどずるい。
結構、覚悟して臨んだんだから。
知らないよね。私のいろいろ。
目の前でもモニター越しでも、もしうっすい笑顔で微笑まれて、アホみたいにペンラ振ったらちょっとは笑顔大きくなるかなとか。
馬鹿でかいC&R出してみようかなとか。

私も知らないけど。
どんな気持ちで活動してたとか、してなかったとか、そんなの全然知らないけど。
ちゃんと笑ってくれた。歌ってくれた。

やっぱり君らファンタスティックなんだね。

私も知らないし、NEWSだって知らない。
おあいこだ。それでいいや。
強くて、弱い。それでいいや。

・そんな魔法をかけられていた

先日(と言ってもだいぶ前だが)NEWS楽曲大賞があった。まとまった時間もあったので、(感動すると話題になっていた)BLUEと「生きろ」のコメントには一通り目を通した。BLUE のコメントにはもちろん楽曲そのものが持つパワーやWCと絡めたコメントもあったが発売された6月のことを言及するものが多く見受けられた。当たり前だと思う。ずっと大切にしてきたものを次々と取り上げられて、見せ物にされて、しまいには勝手に値踏みされる。なんだかそんな気分の1ヶ月だった。

あんたの大切にしてきたもの、所詮こんなんなんだよ。捨てちゃえよ。って。

それをどんなに制止しようとしても、匿名の誰からの悪意に満ちた声は止まなかった。もちろん頷くことしかできない正論もあった。いろんな世間の声から耳を閉ざしたくて、テレビもスマホも極力やめた。(受験生にとっては有り難かったのだけど。)NEWSの音楽を聴くのもやめた。聴けなかった。味スタに行くまで、せっかく入れたBLUEも初披露された「生きろ」もほとんど聴かなかった。久しぶりのNEWSの歌を味スタで生歌という形で聴いた時、それはもう情けないくらいに泣いた。

その中でも多分1番ひどかったのは、「星をめざして」だったと思う。QUARTETTO でも歌ってたから、4人での歌唱を聴くのは初めてじゃないはずなのに、なんだか今の自分のテーマソングみたいですごく泣けた。トロッコに乗ってバクステの方で歌う4人を横目に自分でも引くぐらいに泣いた。

一度死んで また生き返る
そんな魔法をかけられていた。

自分でも気づかない間に私はきっと魔法をかけられていたんだ。
けど私にかかった魔法はあの瞬間に確かに解けたんだと思う。

目覚めたら 君がいて  光満ちていた。

目覚めて、目にした景色はあまりにも綺麗だった。50,000の強く優しい赤い光に満ちていた。

私の8月12日のメモはこの言葉で終わっていた。断片的な言葉の中で、言いたかったことはここに集約されている。複雑な魔法を自分自身でかけてしまっていこと。今まで目にした光と、今目にしてる光のただそれだけで、私がNEWSを好きな理由になり得ること。だって優しいペンライトの光に包まれたNEWSが1番だから。何よりも、好き、その気持ちがあれば十分だということ。6月の私に教えてあげたい。あともう一つ教えてあげたい。

これからは幸せなことが沢山待ってるんだよ、と。

 

lightな愛じゃ物足りないの

 

今回はブログを始めたら、なんとしてでも書きたかったこと

 

それは!

 

個人的に好きなNEWSの

愛が重たいorひねくれた歌詞

 

について語る!

 

〜lightな愛じゃ物足りないの〜

light  

①光、明るさ   ②軽い、軽微な

歌詞の決して明るくはない雰囲気と重い愛が両方、表せるじゃん!私って天才じゃん!(衝撃のチョロさ)って思ったんですけど、今見るとめっちゃ普通ですね笑

辞書で調べてないので、愛の軽重について使えるのかは知らないです…(おい)

 

私はこういう歌詞が好きだ。なぜなら歌詞でしか成立しないと思う非日常がそこには存在しているからだ。てか、歌詞の中でのみ成立していてほしい。私は生きている間にこれから挙げるような言葉を投げかけられたら、そんな奴は全く信用に置けないと思う。完全にアウトオブ眼中。

個人の問題だが、私は真摯に永遠を語られるよりは、いつまで続くかわからないと呟かれた方がよっぽど誠実に感じる。だってそうじゃん。

愛を誓う時の「永遠」、「一生」とか。

何かと多用される「絶対」とか。

身勝手なことを言うな、と思う。

破綻した時の責任をあなたは取ってくれんのか、と思う。

 

 

けど壮大で、無責任な言葉をかけてほしいという思いを持て余してしょうがない時がたまにある。全然安心できない言葉で安心を与えてほしい。心にポツンと空いた隙間を一言で満たしてほしい。その隙間がどんどん広がって手に負えなくなってしまう前に。

 

そんな一言を、私はきっと歌に求めている。

もちろん、ハッピーで可愛くてふわふわで「アイドルかましてるぜ!!!!」みたいな歌詞も需要大ありですよ!

 

その歌で永遠を語ってくれても、世界中を敵に回しても、死を匂わせてきたって別にいい。

そんなの現実じゃないんだから。

信じたところで、私はなんの代償も払わなくていいのだから。

 

お願いだから、歌の中の君はできるだけ

愛に酔っていてくれ。

そして、その湿っぽい愛で、私が勝手に作り出した隙間を埋めてくれ。

 

※歌詞はあくまで私個人の解釈です。ここから後出てくるのは「レギュラーな私」ではなく「全力で曲に浸ってみたイレギュラーな私」です。温かい目でお願いします。(なんの弁解だよ)

 

EMMA

もうこれ以上   愛せないほど

傷つけ合おう

 

「ねぇ。私のことどのくらい愛してる?」

という問いをして

「もうこれ以上愛せないほど愛してる。」

んー。30点。(誰)

うまくかわされたな。

第一、あなたの愛の上限なんて知ったこっちゃない。そもそも愛するという行為に際限はあるのか。際限が無いのわかってるけど、うまく言い表せないからとりあえず言っとけ感がすごい。それでも百歩譲って愛に上限があったとして、私の上限とあなたの上限は違うし、私の方が大きかったら独り善がりに過ぎない。

それは虚しいから、30点。

 

 

 

「ねぇ。私のことどのくらい愛してる?」

 

「これ以上、愛せないように傷つけてほしいと思うくらいには愛してる。」

 

うん。こっちの方がいい。(だから誰)

愛の際限の無さにぶち当たった形跡が感じられるから。決して満たされることのない何かを満たそうとすることは、とても辛い。

その辛さに耐えかねて、こちらに終止符を打ってもらいたいのだ。(傷つけてほしいのだ。)

 

ひねくれてるけど

よっぽど彼の方が、傷だらけで健気で

愛おしい。(完)

 

・UFO

キレイすぎる   キライだよ

私「第1印象から君に決めてました。」

この歌詞は歌詞カードで見た瞬間に「あーーーー好き。」ってなったとこです。

UFOの彼のしっちゃかめっちゃかしてる感じ、私はキライじゃない。←

 

突然ですが、綺麗すぎるものに対して消化不良を起こしてしまうことってありません?(意味不明)

私なんてNEWS見てるとき、基本的に消化不良ですよ。(褒めてる)

 

これって言葉で形容したいけど

言葉にした途端に軽くなって

現実味が無くなって

「全然そんなんじゃない!!!もっとこう……。あぁー無理!!」って心理だと思う。

 

UFOの彼も、恐らくこの消化不良に陥ってる。

「〇〇すぎる」って便利だけど、少し諦観的な表現だ。

可愛すぎる

しんどすぎる

悲しすぎる

たった3文字を増やしたことで、意味が振り切れる。

 

“キレイすぎる”

これ、投げてますよね?(食い気味)

 

 

 

相手は異星人。自分は地球人。

言葉が追いつかないもどかしさ。相手の美しさ故に露わになり映し出された自分の醜さと劣等感。

きっと女性は実際に異星人ではなくとも、異星人に例えてしまうほどビューティフルな容姿の持ち主なのでしょう。

 

美しさと醜さに同時に向き合うのは精神が抉られる。醜いのが自分だったら尚のことだ。彼女の美しさを前にすでにズタボロなのに、それでも堕ちていきたいと心のどこかで願っている。

その矛盾とキレイすぎる彼女へのささやかな抵抗が、この歌詞には端的に表れている。

”キレイ"と”キライ”がどちらもカタカナ表記で、似た字面なのもいいですねぇ。

 

まぁ。結局は

歌ってるNEWSが何よりもキレイじゃん。

ってことに尽きます。

 

・Silent love

どんな風に 君を忘れよう

どんな夜に夢を見よう

 

え。慶ちゃん。←

2000%忘れる気がないでしょ。

どんな夜とか言いながら、今夜君の夢を見るんでしょ。

 

ここはシンプルに

苦しそうな慶ちゃんが好き。(性癖)

 

 

winter moon

結ばれない運命なら この息を止めて

星になって見守るよ

 

運命と書いて、さだめ と読む感じも含め

トップ・オブ・愛がオモイ。

結局、彼女から離れられず、見守るという形で愛を完結させようとしてるあたりも

トップ・オブ・愛がオモイ。(2回目)

 

けど、好きすぎてwhiteのスノエクからの流れは史上最高に擦りましたね。

 

 

・2/130000000人の奇跡

I want you  I need you  I miss you  My love

Forget you Good-bye?  I don’t wanna do it

 

I love you が一度もこの歌に登場しないところが好きです。

こっちの気持ちなんか御構いなし。

身勝手でわがままな気持ちをひたすらぶつけてきてる感じが So  Good!!!!!!!

(英語は英語で返すアホ)

 

 

 

・番外編

月がふたりを探すから 

今夜、世界から身を隠そう

チャンカパーナ

 

Get Away  月夜に 隠れて  Be Silent

誰にも 気づかれず どこかへ Too Far

(I・ZA・NA・I・ZU・KI)

 

月夜に、世界から逃避行シリーズも好きです。(なんだそのシリーズ)

月が綺麗に見える夜に、ちょっとだけ隠れたくなるのはこれらの歌の所為だと思ってる(?)

 

 

最後に

探すとまだまだ掘り下げ甲斐がありそうな歌詞が沢山ありますが、想像以上に長語りしてしまったので今回はこの辺で😌

 

 

 

これからの寒い季節、念願の冬コンもあることだし、沢山NEWSを聴きましょう♡

 

 

ままならない私。

 

はじめましての初ブログ。

最初のブログで何を書こうか、ずっと考えてきたが、いろいろ切り捨てた結果

 

切り捨てすぎて、何も無くなった。

 

そして今に至る。

それでは、ブログが一生始まらないから捨てたものを少しずつ詰め合わせて初ブログとしたいと思う。

 

(何を言いたいのかというと、本人ですら明確には何を書いているのかわかってないのだから、読む人はもっとわからよねって話です。その事を前提で読んでもらえれば。)

 

あと、文体は 「で・ある調」に慣れているので、基本的にはそうしますが傲慢な印象を与えてしまったらごめんなさい(>_<)

 

 

 

一番に案として思いついたのは

「NEWSを好きになった経緯」だ。

 

 

 

しかし、ぶっちゃけてしまえば経緯なんて覚えていない。

気づいたら好きだった。

“好きになった”のではなく”好きになっていた”。

 

私には4つ上の姉がいる。この姉が生粋のジャニヲタで、その影響で幼稚園生の頃からジャニーズを目にする機会は人より多くあった。カウコンも驚くことに、記憶の限りでは5歳から見ている。姉はNEWSを好きになるまでに2つののグループ(あえて明言は控える)を推していて、ずっと洗脳され続けてきたが、一向に私には響かなかった。

姉がNEWSにハマった経緯は知らないが、いつからかリビングにNEWSのDVDが流れ始めた。そんな時、大抵私は寝ていた。←

(私は興味のないものを大人しく見るという我慢が昔からできない)

 

 

けど、ある日、目を閉じて眠りの世界と現実の狭間でふと思った。

 

「やっと出会えた。」と。

心のどこかで、探し求めていた声がそこにはあった。手越祐也の声だった。

 

 

 

今は多分、手越祐也のなんだって好きだ。大好きだ。顔。歌。愛。不完全さも、理解できない部分もひっくるめた全てが。

 

けど確実に私のNEWSへの入り口はあの一瞬の手越祐也であり、その声だった。なんの曲であったかも、なんのDVDだったのかも覚えていない。(そこは覚えといてほしかった…)声だって初めて聴いたわけでもないのに、あの時にうたた寝の中で果たした出会いは鮮烈だった。

 

そこからは姉の受験であったり、私の受験であったりでドタバタしていて、初めて参戦を果たしたのは、テゴマスの青春 だった。

声に惚れた私としては、あのライブは

 

好きでしかないじゃん。感動するしかないじゃん。(雑)

 

 

 

これを機に正真正銘のヲタクと化した私が誕生したわけだが、

今でもまだ、6年前に感じた”やっと出会えた感覚”についての説明をできずにいる。

 

 

私はNEWSを好きでいる限りきっと、あの時の感覚の答え合わせをしようとしている。

答え合わせができたその時には、また改めてブログに書こうと思う。

 

この時点で1000字越え。覚えてないとか言いながら、経緯しっかり書いたな私。

 

 

 

 

もう1つ浮かんだ案は

「死ぬほどめんどくさすぎる私について」だ。

 

私は小学5年生から日記をつけている。毎日欠かさず書いているわけではないが、もう5冊目になった。こういう時に書く!っていう決まりはなく、衝動的にペンを取るタイプだ。

 

 

たまに読み返す。そして泣く。(もうこの時点で鬼めんどくさい)

 

 

私は、基本的に”今日の自分"を信用してない。

このブログを書いている自分も

さっきカツ丼を食べた自分も

昨日笑った自分も

あの時に泣いた自分も

全てはいつか消えてしまうと思っている。

 

 

綺麗さっぱり消えることはなくても、その濃度は保てない。けど人生の中で「忘れたくない、忘れちゃいけない記憶や熱情」はある。

じゃあ、どうするか?

 

そこで小学5年生の私は、日記という手法を取ったのだと思う。

パパやママには言えないコトや、しょーもない怒り、ライブで泣いちゃった話…etc が今よりも更に拙く素直な言葉で綴られている。

泣きながら書いて、たまにページが滲んでたりもしてる。

それらを読んだときに、

 

なんだかんだ、生きてきたんだよな 。

って感じる。

 

生きてきたなんて、すごく当たり前なことなのに、たまに思い返さないと忘れちゃわない?私は忘れる。(自問自答)

一瞬、一瞬違った感情を抱いた私が生きていたのに、気づいたら今の私が全てみたいな顔して生きてる。本来、線であるはずの時間が点になってしまったような感じがする。その薄っぺらさに私は耐えきれないのだ。悲しいことも嬉しいことも、全てをひきづっていたい。

 

 

 

 

まぁ、何を言いたいのかと言うと、(2回目)

 

ブログは、残したいから書くんだ!って話です。(強制終了)

 

 

 

案の定、グダグダになってしまったが、一発目だからご愛嬌ってことにしておく。

 

ブログには、好きなことならなんでも書く。

NEWSについて、本、映画、コスメ、ただの思索、歌詞考察…などなど。

 

気が向いたら読んでみてください☺︎

 

 

ここまで読んだ人いないと思うけど、もしいたのなら、本当にありがとうございました🍓