理性的で感情的な私

「あげられるものなんて 心くらいしかないから 君にわたそうと思った」

君に導かれ 歌いながら ぼくは歩き出す

 

最近iPhoneからストレージがなんちゃらかんちゃらと、しつこく催促されて仕方なくiPhoneの整理をした。なんで撮ったのかもわからない、しょーもない写真。たいして行かないのに勢いで追加してしまったカラオケ店からのクーポンのLINE。1000件溜まるまで放置されていた迷惑メール。大概はこなせなかった欲張りなto do リストのメモ。だらしなさの塊で私のiPhoneはパンク寸前だった。それでも整理し始めてみると、ひたすら削除するのは部屋の掃除よりかはシンプルな作業でちょっとだけ楽しいもんだ。タップしていく私の指は軽快で清々しかった。

ざまぁみろ、私のだらしなさよ、次は溜めないからな。

ふと、あるところで指は止まった。8月12日のメモだ。8月12日。___________

そのメモには、50,000人のファンとNEWSと過ごした夏の日の記憶があった。忘れた日なんて1日もない。あの時の優しい光景と歌声は今でも私の記憶の最前列にある。オープニングのCDジャケットのデザインが描かれたエモすぎるケーキとかwhiteから計画されてきたメンバーカラーの衣装とか、美貌に狂わされた夜よ踊れとか。思い出そうとすれば(増田さんの言う通り)キラキラした衣装を纏った4人が頭の中で歌い、そして舞う。記憶は私のためだけに何度でも歌ってくれる。同じところで感情を揺さぶり、あの日に引き戻してくれる。それでもどんなに記憶がリアリティのあるものだったとしても、帰りの電車で絞り出した言葉の数々よりも臨場感があって切実な言葉は、恐らくもう二度と出てこないのだと思う。いや、違うな。出せないんだ。

 

• 深い暗闇で 孤独に泣いていた

ファンのなかではお馴染みだと思うが、増田さんがコンサート会場でよく口にする言葉(というか、趣旨)がある。

(コンサートに集まった)こんなにも沢山の人が同じ日、同じ時間に、NEWSのコンサートという同じ予定を抱えていることがすごい。ざっくりまとめるとこんな感じだ。(増田さんの語感を出すの諦めた人)

増田さんは実際、東京ドームで口にすることが多いが、きっとどの会場でも、このささやかな奇跡を感じてくれていると思う。こないだの味スタだって例外ではないと身勝手にも信じている。そう願ってしまうのは、なぜなら私自身がその奇跡を強く意識したからだ。自分の感覚を相手にも要求するのは、都合が良すぎるし傲慢だと思うからあんまり気持ちのいいものではない。たいして美味しくもない料理を食べさせて、たいして心のこもってない美味しいを強要して満足するみたいなものだ。そのことが虚しいとわかりながらも、味スタの私は増田さん含め会場にいた全員と共有したっていう独り善がりの満足が欲しかった。いろんなことに疲れてボロボロなのは自分だけじゃない。明日からまた現実と向き合って、泣いてんだか、笑ってんだかよくわからないヘラヘラの笑顔で過ごす人は他にもいる。そう思いたかった。仕事、学校、人間関係、将来のこと。それぞれ抱えている悩みも絶望も誰一人として同じものはない。何に喜びや幸せを見出すかも十人十色だ。それでも、あの2時間半は誰もが幸せに頷いたはずなんだ。NEWSのコンサートを介して集い、何度も歌声を重ねた事実と確かに存在していた繋がりに、あの時の私はすごく救われた。そして今も救われている。だからこれからもNEWSに似て、歌が大好きな歌いたがりのファンでいたい。(踊ったりもしちゃうんだから。)

メモ↓

8月12日。
今日が終わって、それぞれが家路につく。
これから語らう人たち。ゼロを観る人たち。
夜行バスで帰る人たち。

いろんな人がいるもんだな。
そんな中、私は…
重い。いろんなものが重いと思った。
ライブが終わって降り出した雨に、進まない足取り。
この日を過ぎたら肩にのしかかる現実。
けど、全部が悪い重さじゃない。
NEWSの愛。ファンの愛。私の愛。
皆んなの愛、ちゃんと重たいじゃん。
その重みが持て余した心の憂鬱を少し軽くしてくれてる気がする。

それなのに一歩、歩くたびに
家に近づくたびに、明日に近づくたびに
記憶の紐がするする解ける。
あの時
手越さんはどんな歌を歌ってくれたかな
慶ちゃんはどんな声をかけてくれたかな
加藤さんはどんな決意を聞かせてくれたかな
増田さんはどんな眼差しをしていたかな
50000人のファンはどんな顔をしていたかな。

忘れないでいたい。忘れたくない。
ずっと頭の中にいてください。

そして、今日が終わってまた始まる明日を前に
怯えてしまうような弱い私に
どうか勇気をください。

 

・君も 深い暗闇で 孤独に泣いていた?

味スタのとき、コンサートに行くことが初めて怖いと思った。何に対して恐怖を抱いていたのだろう。埋まらない客席か。来るかもしれない過激なアンチ勢の突拍子もない行動に対してか。はたまた、見て見ぬふりをしてやり過ごしてきた自分の中のNEWSに対してのマイナスな気持ちか。その答えは多分、

ステージに立つ彼らの表情を見ることだった。

より正確に言うなら、「ステージに立つことに怯えている顔を見る」のが怖かった。アイドルを応援するファンとして、自分たちに怯える姿を見るのはかなりの苦行だ。逆にその顔を隠そうとして力無い笑顔を向けられることも、もはや拷問に近い。その2つを覚悟して行った味スタだった。結局は私の杞憂で終わった。久しぶりにコンセプチュアルじゃないライブで、ストレートに歌と15周年の歩みを示してくれた。でも、これだけは1つ言わせてほしい。杞憂だろうがなんだろうが、ここ数ヶ月、結構心すり減らしたんだからね。

メモ↓

ずるい。
何がずるいのかも、もうよくわからないけどずるい。
結構、覚悟して臨んだんだから。
知らないよね。私のいろいろ。
目の前でもモニター越しでも、もしうっすい笑顔で微笑まれて、アホみたいにペンラ振ったらちょっとは笑顔大きくなるかなとか。
馬鹿でかいC&R出してみようかなとか。

私も知らないけど。
どんな気持ちで活動してたとか、してなかったとか、そんなの全然知らないけど。
ちゃんと笑ってくれた。歌ってくれた。

やっぱり君らファンタスティックなんだね。

私も知らないし、NEWSだって知らない。
おあいこだ。それでいいや。
強くて、弱い。それでいいや。

・そんな魔法をかけられていた

先日(と言ってもだいぶ前だが)NEWS楽曲大賞があった。まとまった時間もあったので、(感動すると話題になっていた)BLUEと「生きろ」のコメントには一通り目を通した。BLUE のコメントにはもちろん楽曲そのものが持つパワーやWCと絡めたコメントもあったが発売された6月のことを言及するものが多く見受けられた。当たり前だと思う。ずっと大切にしてきたものを次々と取り上げられて、見せ物にされて、しまいには勝手に値踏みされる。なんだかそんな気分の1ヶ月だった。

あんたの大切にしてきたもの、所詮こんなんなんだよ。捨てちゃえよ。って。

それをどんなに制止しようとしても、匿名の誰からの悪意に満ちた声は止まなかった。もちろん頷くことしかできない正論もあった。いろんな世間の声から耳を閉ざしたくて、テレビもスマホも極力やめた。(受験生にとっては有り難かったのだけど。)NEWSの音楽を聴くのもやめた。聴けなかった。味スタに行くまで、せっかく入れたBLUEも初披露された「生きろ」もほとんど聴かなかった。久しぶりのNEWSの歌を味スタで生歌という形で聴いた時、それはもう情けないくらいに泣いた。

その中でも多分1番ひどかったのは、「星をめざして」だったと思う。QUARTETTO でも歌ってたから、4人での歌唱を聴くのは初めてじゃないはずなのに、なんだか今の自分のテーマソングみたいですごく泣けた。トロッコに乗ってバクステの方で歌う4人を横目に自分でも引くぐらいに泣いた。

一度死んで また生き返る
そんな魔法をかけられていた。

自分でも気づかない間に私はきっと魔法をかけられていたんだ。
けど私にかかった魔法はあの瞬間に確かに解けたんだと思う。

目覚めたら 君がいて  光満ちていた。

目覚めて、目にした景色はあまりにも綺麗だった。50,000の強く優しい赤い光に満ちていた。

私の8月12日のメモはこの言葉で終わっていた。断片的な言葉の中で、言いたかったことはここに集約されている。複雑な魔法を自分自身でかけてしまっていこと。今まで目にした光と、今目にしてる光のただそれだけで、私がNEWSを好きな理由になり得ること。だって優しいペンライトの光に包まれたNEWSが1番だから。何よりも、好き、その気持ちがあれば十分だということ。6月の私に教えてあげたい。あともう一つ教えてあげたい。

これからは幸せなことが沢山待ってるんだよ、と。