理性的で感情的な私

「あげられるものなんて 心くらいしかないから 君にわたそうと思った」

美しい恋を連れてきた、君の歌に

2020年6月19日。

8年近く愛し、そして愛された、アイドル、

手越祐也はジャニーズを辞めた。

これを書いてるのは6月20日の夜で、手越さんがNEWSじゃない世界の1日目を終えようとしているところなんだけど、いやー本当にしんどい。心の底の底の底からしんどい。好きになってからずっと、本当にずっと、NEWSの手越祐也は私の太陽だったから、急に太陽がいなくなって、血も涙もない世界にほっぽり出された感じ。(私の中で手越祐也のテーマソングは一生、紅く燃ゆる太陽)

誰かに対してぶつけはしないものの、思考回路まではさすがに取り繕えないから死ぬとか鬱とか絶望とか不穏な言葉が脳内でパレードしちゃってるけど、まぁ実際は今日も今日とて生きてるわけです。きっとこの世界2日目も、3日目も、その先も、肌寒いなぁとか、涙止まんないなぁって思ったとしても、しぶとく生きていきます。てごしって発音する10回に7回は涙ブワァァァ来るけど、それがだんだん6回になって、5回、4回、3回、で最後は笑顔になれる日が来るんでしょ?時間さんよ、あんたが解決してくれるんでしょ?

 

ここ1ヶ月くらいはずっと、乗りたくもない超ド級ジェットコースターに無理やり乗せられて、周りの景色なんて見たかないのに、目を瞑ることすら許されないような心地だった。マジでなんでみんなそんなに他人に興味あるんですか?って何度も思った。人の不幸は蜜の味って感じですか?って。人生のパイセンの言葉にさ、「愛の反対は無関心」てのあるけど、ほーーー。なるほど。って納得する反面、不幸に対して好奇的な関心を向けられるくらいなら、無関心の方が良くない?ってぐるぐる考え続けたりした。ソースどこですか情報が錯綜するたびに、彼は叩かれて、擁護されて、こちらも性懲りもなく傷ついて、安堵した。

それまでだって、意図せず敵を作りやすい人で、ネットでなんやかんや言われていたけど、ファンもスルースキル高めてなんぼじゃ!とか思っていたから、批判の言葉にはかなり疎かったし実際どうでもよかった。でもそれは心のどこかで"手越祐也がNEWSでいることを脅かされる"ことはないって勝手に信じていたから。だから、ここまでの事態になってようやく、強そうな標的には何を撃ったって平気と思ってる人達が集う奔放な遊園地の中を、彼がずっと果敢に生きてきたことを直視したんだと思う。4人になった時の「3人は本当に優しい人たちだから、自分が矢面に立つ」って言葉はどんな気持ちで、どれほどの覚悟で口にしたんだろう。想像するのもおこがましいけど、私はその矢が今になってめちゃくちゃ怖くて堪らないです。

 

(突然のよくわからん大説教ブログ入ります)きっと誹謗中傷とかも然りな話でさ、流れる膨大な言葉を前にして、自分以外の人も言ってるからって、人を蔑めるパワーがエグい言葉を平気で言えちゃう心理?風潮?みたいなのがこの世の中に絶対ある。SNSネイティブ世代な私も含めて、そういう言葉のハードル、下げすぎじゃない??それに対して本人が何かアクションを取ろうものなら、感情的になるなだの、そんなに嫌なら見なきゃいい、だの飛び交う。「明らかこっちの方が冷静だわ!」って思うし、感情的な相手に冷静に対応して納得させるって、感情で向かうよりも半端ない気遣いとエネルギー消費する。スルースキル言ったって、何万もの反応に対して"SNS見ないネット見ない作戦"で解決できるほど単純じゃない。自分以外の人がみんなが知ってるのに、自分だけが知らないって、なんか気持ち悪いし、結局は"知らない"を際立たせるだけでますますひとりぼっちになるだけじゃん。いや、本当に考えてみてくれよ、世間。私も毎日考えるから。それ絶対ちゃうやろって、私の中のチャウチャウ犬がすやすや眠れるまで考えるから。自分が正しいなんて思わないけど、そんな言葉を人に言わないのが大前提だよ。誹謗中傷、ダメ、ゼッタイ。批判とヘイトの違いわかりますか?1億歩くらい譲って、これは批判だと主張する猛者が現れても、はい!見直しまーす!ご指導ご鞭撻サンキュー!って対政治じゃないからならないのよ。議論重ねて、高次元へ行きましょうみたいな話じゃないのよ。いつだって、対人間。サンドバッグじゃないから。その矛先、血の通ってる人間に向いてるから気をつけなはれや!!!!って感じ。(大説教ブログ終了のお知らせ)

直、手越さんがいろんな媒体を始めて、今までよりもかなり直接的に悪意を向けられることも増えるのかもしれないと思うと気が気でない、、。

 

私はただのファンでしかないから、

撃たれる側に立つことはないから

どんなに頑張っても理解することができなくて、ごめんね。

矢を、傷を、自分のものに出来なくてごめんね。

本当は投げられる矢と同じくらい、いや負けないくらいの、優しい優しい贈り物を、全てがエゴだとわかっても、まだまだ沢山したかったな。あげてもあげても足りなくて、いつだって貰ってばかりな気がしていたから。

 

この時点でまだ会見を見ていないし、何を語るのかもわからない。彼が自ら辞めることに操縦桿を振り切った心境の変化や原因は、彼のみぞ知る範囲だと思う。私が勝手に守ってあげたかった世間の言葉や反応なんて、なんとも思ってないかもしれない。自由を求めて、泳いで行きたかっただけなのかもしれない。

 

そりゃあ、ツッコミどころも多かったし、反省をしてくれて居たらいいと思ったこともある。今も、なにこのディストピアって信じきれてないし、♪の絵文字恐怖症になりかけてるけど、真っ先に浮かぶのは楽しい思い出ばかりで。

 

初めて会った、テゴマスの青春はイレギュラーな髪型とメガネで開始20分は、手越さんの声をした誰かだ!って疑ってたこととか

 

4人を初めて見たWhiteで、何故かMCでメンバーが棒々鶏とソファになるから、頭おかしすぎて割とガチで引いちゃったこととか

 

QUARTETTOでSNSで知り合った沢山の人たちと、初めて会えて、ずっとウキウキで嬉しくて堪らなかったこととか

 

NEVERLANDで初めて自然発生的なNEWSファンの大合唱に参加できたのに涙でぐちゃぐちゃだったこととか

 

EPCOTIA で初めてアリーナ席に入ったのに、全然心も見た目も準備できてないって不安になって、お姉ちゃんと席ついた瞬間、なぜかステージに謝っちゃったこととか

 

Strawberry で初の野外で、一緒に花火見て、「生きろ」歌って、これからの私の、あの夏はここに繋がるって思ったこととか

 

EPCOTIA ENCOREで、「生きろ」歌いながら、金色のペンライトに包まれて、繋がる4人を見て、これは絶対忘れちゃいけない、忘れたくないって思ったこととか、気づいたら歌声録音されて狂気的かれぴ発揮されたこととか

 

WORLDISTAでシングル発売される前に、歌って〜て言われて、うっかり歌えちゃった自分にびっくらこいたこととか。

 

気がついたら、私の"最後"は終わっていたけど、今思えば、ほんとうに全部が楽しかった。思い出の宝箱をこさえるとしたら、私はほとんど今までのNEWSとの思い出を詰めることになるんじゃないかな。あまりにも鮮烈で美しかったから。これめちゃめちゃ真面目に言ってる。

 

ここ1ヶ月、自分の「好き」と向き合って気づいたのは、そこに必ずしも人として、アイドルとして求められる「正しさ」は含まれてなかったなぁと思った。(含まれる人もいていいと思う!)でも好きじゃない人からしたら、こっちが愛してやまない魅力よりも、「正しさ」の方が明らかにわかりやすいから、そこを執拗に突っついてくる輩とか「好き」に水を差してくる輩がいるけど、そんなんに影響されて、無理やり感情にフタをしないでいたい。「好き」の生殺与奪の権利は絶対に自分で握る。ああー奪われるって危険察知したら、心の中でめっちゃアホい変顔で対抗する。他人の「正しさ」を聞いてなんかやらない。

 

大好きだったライブ。

生きがいだと言ってくれたライブ。

愛し合う人たちしかいない星の中で、平均したら毎秒笑ってるんじゃない????レベルで見ていられた笑顔は本当に奇跡だった。自分に直接向けられてるわけでもないのに、同じ空間で違う誰かに、歌に、メンバーに笑いかけてくれるだけで、全てがやさしくなれた。

感情がスーパー凪で、怒りと悔しさしか原動力にならん!と信じていた私が、ライブに行くたびに「次のツアーまで恥じないように生きよう、幸せな気持ちをエンジンに頑張ろう」って気づいたら8年間走り続けてた。そしてこれからもNEWSが変えてくれた私のまま、たまに寄り道して、たまに後ろを振り返って泣きべそかいて、走って行こうと思ってる。

 

この強さが本当に何よりもの財産だよ。

6月20日の朝一番、何したと思う?

正解は、「プロテイン、ポチった」だよ。

(ここ1ヶ月、悶々した状態を打破するために筋トレもせっせとして、因縁深い筋肉とも仲良くなり始めて、強いの方向性を完全に間違っちゃってるけど、こういう私、めちゃくちゃ信頼できる)

 

だから手越さんも、走り続けてね。

一緒に見てきた景色が、抱いた感情が、少しでも脚を動かす糧になりますように。

NEWSとしてステージに立つ姿をもう見ることがないと思うと寂しすぎて、初次元の感情なんだけど、笑顔で人を幸せにする才能は本当にピカイチなんだよなぁ。

 

2年前に、自分だけの手越祐也じゃない。って言っていたけど、やっぱりそれはあなたのものだから。

 

美しい恋を連れてきた、君の歌に

幸せに微笑んだ、君の笑顔に

ありとあらゆる感情をくれた、君の姿に

ありがとう。

永遠に君に幸あれ!